瀬戸の間伐材でつくる、新たな瀬戸のお土産「SETO TOTEMPOLE」

瀬戸の間伐材でつくる、新たな瀬戸のお土産「SETO TOTEMPOLE」

 瀬戸にはやきものだけではなく、さまざまなツクリテが活動しています。今回ご紹介するのは、瀬戸の間伐材でつくる「SETO TOTEMPOLE」。どことなくとぼけた表情のトーテムポールは、心をわしづかみにされる可愛さです。

ツクリテの岩井さんの本業は、古着屋のショップマネージャーであり、バイヤー。数ヶ月に一度、アメリカやカナダなど北米での買い付けをするなか、トーテムポールに出会い、15年以上のコレクター歴を経て、好きすぎるあまり、ついにつくってしまったといいます。

ご自宅の一角を工房にしてつくっている、とお聞きして、おじゃまして、お話をおうかがいさせていただきました。

トーテムポールが好き、が詰まった自宅兼工房

待ち合わせ場所には、丁寧な地図が届きました。けれども、なぜか住所はない。
このあたりかな? と迷子になりつつ、なんとか集合場所に到着すると、岩井さんとふたりのお子さんたちが手を振って、合図をしてくれました。

ここに停めてください、と車を停めた横には竹藪が。ごく自然に山道を案内され、冷静を装い、ついていくと、まもなく視界が開け、太陽がふりそそぐ自宅兼工房へと辿り着きました。

写真:自宅の鶏小屋。岩井さんのお手製。奥には薪ストーブ用の大量の薪ストック。

毎度ここから出入りされているのかと思いきや、正面玄関はまったく別にあり、「ここを通ってみてほしくて」とにこにことした表情を浮かべる岩井さんを見て、おちゃめな人柄というか、「これが好き!」がものすごく強い方なのだろうという性格が伝わってきました。

庭には、岩井さんお手製の鶏小屋があり、二羽の鶏を飼っていました。名前はきなことあんこ。小屋を開けると、鶏たちが楽しそうに外へ出てきて、庭を自由にかけ回っていました。

トーテムポールとの出会い

ご自宅の中へとおじゃますると、玄関、リビング、廊下、部屋のあちこちにトーテムポールコーナーがあり、ほかにも世界各国の民芸品があちこちに。とにかく「好き」が強烈に伝わってきました。

そもそもトーテムポールとは、アメリカ北西沿岸で暮らしてきた先住民が建てる彫刻柱。彼らは独特の氏族制度を持ち、一族を象徴するような生き物を彫り、こんな家族が住んでいるんだよ、ということを伝えたり、出来事が記録されたり、文字を持たない代わりの表現方法だったそうです。そんな彼らの歴史文化を伝える、重要な遺物です。けれども、あるとき、岩井さんはアメリカのフリーマーケットで、“ちょっとふざけた”テイストのトーテムポールに出会います。

写真:写真右下のへたウマなトーテムポールに岩井さんは衝撃を受けたといいます。

「こうしたチープなトーテムポールをおじいさんが大事にしていたり、地元の人たちの愛し方みたいなものにも興味を惹かれました。日本の郷土玩具のような親近感もわき、トーテムポールの起源や由来を調べるうちに、日本と多く共通するところがあり、どんどんはまっていきました」 

コレクターからツクリテへ

写真:自宅のとっても見晴らしの良いテラス。ここが決め手で、物件が決まった。

自身でトーテムポールをつくりはじめたのは、ひょんなことからでした。岩井さんは、お子さんを隣の愛知・長久手市の森の幼稚園に通わせていたことをきっかけに、自然のなかに家を持ちたいと、名古屋近辺で家を探すなかで、瀬戸に家を見つけます。そして、5年ほど前に引っ越し、家族4人で暮らしはじめたそうです。

その物件には、薪ストーブがついていたので、自然と薪ストーブを使う生活スタイルへ。薪を集めるのには困らなかった。瀬戸はやきもの町で、登り窯を使っていた頃、赤松の木が薪として大量に使われていたことから、今は余っており、森林整備が必要なほどでした。

瀬戸市の造園会社「フォレストニア」が立ち上げた「森間伐の会」に入り、森の整備をして間伐をもらったり、小学校の閉鎖にともない、木が伐採されれば採りに行くようになります。

「薪を手に入れる機会が増えて、木が揃うようになったんです。その木を使って、自分でつくってみようか、とつくりはじめたのがはじまりです」

はじめのうちは、トーテムポールを作っては、お友だちにプレゼントしたり、家に飾ったり。初めて人前にお披露目したのは、散歩のときにいつも気になっていた商店街にある「松千代館」という古民家ギャラリーでした。

写真:2022年10月に「松千代館」で初開催した時の様子。

そのとき、知り合いの先輩がInstagramで紹介してくれて、その投稿を見たという日比谷セントラルマーケットのバイヤーから声をかけられ、「東京ミッドタウン日比谷」で無名の新人が、10日間の個展を開くことになったのです。

同時期に『ONKLE』の編集長からも連絡があり、北欧特集のなかで、北欧風のオリジナル商品をつくることにもなった。フィンランドに1ヶ月間、家族で訪れていた経験もあったことで、北欧で見た鳥をイメージしてつくったそうです。

引き出しの多さからトントン拍子で、次々に注文や個展の依頼が舞い込み、最近は、毎日、出勤前につくっているそうです。

トーテムポールをつくる理由

岩井さんがトーテムポールを好きで、つくっている根底には、こんな想いがあります。

「自分の好きな先住民の人達の自然との共存の仕方や、本来の小さなコミュニティの中での人間のあるべき姿を学んでおり、それを現代の人達にも考えてほしいという願いもこめて作っています」

それを実践するひとりの人間として、わざわざ瀬戸へと引っ越し、暮らしているんだろうなあということがひしひしと伝わってきました。

ここからは、作っている様子をご紹介です。細めの枝木を用意して、これを小さなノコギリでカットしていく。

20cmほどのちょうどいいサイズにカットしたら、これをミノで彫っていく。

道具は、骨董市で購入したという、このミノ一本のみ。いろんな種類を試した結果、これがやりやすく、これで削れる範囲のサイズ感でつくっているそうです。

いつものように削っていただくと、少しずつすこしずつ形が浮かび上がってくる。大まかには外で削り、自宅では細かく削ったり、色をつけたりする。

岩井さんは、トーテムポールのコレクション歴がとにかく長いので、木の表情を見ていると、こうしようかな? とイメージがわくという。

「下書きはしたことがないですし、塗る時も描く時も、 全部一発本番です。これだけずっといろんなものを集めてきたから、自分の中でこれは好きでこれは嫌い、というのは明確にあるので、迷わないのかもしれないですね。愛着が持てるかどうかも、大事にしています。顔にちょっと可愛さがあるというか。憎めない、ギリギリの下手さを大事にしてます(笑)」

瀬戸土産としてのトーテムポール

写真:「日本人が落ち着く、日本の郷土玩具のような色合いが好きです」

岩井さんは、当初から“瀬戸土産”として、このトーテムポールをつくり続けています。その理由を教えていただきました。

「元々、アートをやるつもりはなかったというか。民芸品が好きだったんです。僕は旅行がすごく好きで、心が洗われる。やっぱり楽しいじゃないですか。旅とつながるのが、お土産だなと思っています。

このトーテムポールづくりは、瀬戸に人を呼ぶことが目標なんです。イベントを開催した時に、他県とかからいつもとは違う人が来て、なんかトーテムポールがイベントやる時はちょっと盛り上がるよねみたいな。そんなふうになったら、いちばんやりがいがあるなと思って始めました」


以前、個展で瀬戸に訪れてくれた人たちが、とても楽しんでくれたことが嬉しかったといいます。

「僕が別に何かすすめなくても、よくそこの写真を撮ってくれたとか、ちょっとした小道とかを入って、勝手に楽しんでくれるんです。

僕の作品を見にきてくれる方もそうですけど、いきなり個展で呼んでくれるような人は、大体ちょっとぶっ飛んでる人が多くて(笑)。でも、そういうことできる人がまちを面白くする力があるというか、日本をいいようにしてくれるなと感じて、瀬戸の外で販売するものはつくっています」

楽しくものづくりができて、地域にも貢献できる“ネオ郷土玩具”をめざして

「僕は職人になりたいと思ったこともないし、アーティストでもない。誰でもできるぐらいのことでいいと思っているんです。日本の郷土玩具や仏様は、敷居が高すぎる世界で、新たに始めようと思っても、なかなか始めれない。

今は何十年も修業して、やっと作れるようになったもののすら、そんなに売れない時代。今の若い人たちが目指すと、たぶん楽しい将来はないんじゃないかなと思って。このセトトーテムポールをおもしろい! と言ってるくれる人たちがいて、そういう楽しいことをやってるっていう姿を子どもたちにも見せていく。楽しみをつくり、地域にも貢献できる。そんな“ネオ郷土玩具”になれば嬉しいですね」

瀬戸に根付く、“ネオ郷土玩具”として「SETO TOTEMPOLE」を応援したい。

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