愛知県瀬戸市は、千年以上続くやきものの産地です。
その理由は、やきものにとって、最良の土「蛙目」(がいろめ)という土が採れることから。
なぜ、蛙目がやきものに適しているのか?
それは、形状記憶合金のように形をとどめる可塑性(かそせい)を持つことが大きな特徴で、ろくろがとてもひきやすい。焼くと真っ白になり、しかも、耐火性が強い。精製して粘土分を、長石や珪石などと混ぜれば、磁器用の粘土までつくれてしまう。
まさに、やきもののために生まれてきたような土なのです。その土のおかげで、瀬戸では千年以上にもわたって、やきものが続けてこられたのです。けれども、蛙目は、山から掘っている天然資源であり、掘れば、なくなっていきます。
そのことを多くの方に、もう少し知っていただきたい。さらに興味を持っていただきたい。
瀬戸で土を扱う窯業原料関係者や窯元のみなさまに、お話をお伺いしました。
※より深く「蛙目」について知りたい方は、こちらもどうぞ。
*
今回ご紹介するのは、瀬戸市内の赤津地区で江戸時代から続く窯元「作助窯」。こちらでは、伝統の織部・黄瀬戸の色を守るため、蛙目原土(がいろめげんど)から土をつくり、釉薬も自然灰をベースに天然原料でつくっています。
かつて赤津で作られていた“赤津瓦”が目をひく工房は、瀬戸の土を生かしたものづくりの原体験が見られる空間です。今回、六代当主であり、愛知県無形文化財保持者である加藤圭史さんに、土づくりのこと、工芸における材料への理解について話をお伺いしました。
作助窯とは?

「作助窯」は、瀬戸市内の東部にあたる赤津町にあります。赤津町は、1929年に当時の瀬戸町に合併されるまで、赤津村という独立した村でした。
現在の赤津町は、当時の繁華街だったそうで、瀬戸のなかでも、窯元や瀬戸物問屋などが密集しているエリア。今でも、瀬戸の中心市街地とはまた違ったおもむきで、周辺そのものがやきものの里といった風情を感じられます。
赤津では瀬戸焼のひとつ、「赤津焼」が伝統的工芸品にも指定されています。
その起源は、奈良時代(700年頃)に存在した須恵器まで遡り、鎌倉時代に日本で初めて釉薬をかけた本格的な技法を始めたといわれています。
織部釉、黄瀬戸釉、志野釉、古瀬戸釉、灰釉(かいゆう)、御深井釉、鉄釉の7種類の伝統的な釉薬があるほか、へら彫り、印花(いんか)、櫛目(くしめ)、三島手(みしまで)など12種類もの装飾技法があります。


その周囲には、原土置き場や、土づくりの器具がいくつも並んでいます。さらに、釉薬を保存する小屋、モロ(工房)があり、ここで、みごとに土づくりが完成できるようになっているのです。
窯はこの敷地の向かいにある建物に、ガス窯や石炭窯、薪窯などいくつもあります。さながら博物館のような工房。ここまで、昔ながらのものが残っている工房は、瀬戸でほかに見かけません。

「作助窯」六代当主の加藤圭史さんは、愛知県登録無形文化財保持者( 陶芸 黄瀬戸・織部)です。
手がける作品は、伝統的な織部釉と黄瀬戸の器。織部の特徴は北大路魯山人にも愛されたという、どこよりも深い緑。黄瀬戸はマットな肌合いの淡い黄色と緑の胆礬(たんぱん)のバランスが肝だといいます。

これらの理想の色を出すために、自然灰を基本とした釉薬づくりはもちろん、土へのこだわりがかかせません。使い込んでいくことで、さらに味わい深く育ち、価値を増す。
「陶器には吸水性があって、完成してからも呼吸しています。そのため、使うことによって古びていきますが、我々、日本人は『侘び寂び』として、そこに美を見出した特殊な民族です。そういうところを大事にしようと思うと、土へのこだわりは外せない要素になってくるのです」
「作助窯」の土づくり

「作助窯」では、年に一度、ひと月ほどかけて、“もと土”と呼ばれる、基本の土づくりをします。貴重な土づくりの1日目の様子を見せていただきました。そのベースとなる土は、もちろん瀬戸の宝「蛙目」の土。
「僕は、蛙目土は世界一の陶芸用の土だと思っています。あの土が瀬戸を支えてきたし、金の鉱脈ぐらいの価値があると考えています」と圭史さん。
その理由には、3つの要素があるといいます。
「ひとつは、耐火度が高い。磁器ができるほど。2つ目は白い。窯で焼いた時に色が出る要素は鉄だったり、チタンがあるんですが、そうした意味での不純物がない。3つ目は、可塑性(かそせい)。非常にろくろで作りやすい。あまりにも優秀過ぎて、鋳込みという技法でもやきものが作れてしまう」

こちらが蛙目原土の塊。「作助窯」で50年以上働く、職人の谷口さんに、どこが粘土分なのか聞いてみると「ここが土で、これが珪砂、光って青みがかったところが蛙目の粘土分。石英で光るんだわ」と、ズバズバっと教えてくださいましたが、やきものをやっている方でも、現代でわかる人は、ほんの一握りなのではないでしょうか。
「本当はもっと塊でなければいかん。粘土分が多いと固まって、きゅっとする」と残念そうに語っていらっしゃいました。昔に比べると、良質な蛙目土が減っているそうで、伝統を維持するために、改良を続けています。

こちらはトロミルと呼ばれるもので、内側には玉石と呼ばれる石が入っており、電動でぐるぐるとまわり、土をすり潰します。

上から原土を入れていきます。重労働です。土づくりの時には、瀬戸染付焼の作家・井上 匠さんが、いつもかけつけてくださるそうです。

ここに水も加え、30分ほどまわします。蛇口から外へ出すと、原土が砕かれて、液状の泥漿(でいしょう)となって、勢いよく出てきました。

甕にためたら、フィルタープレスと呼ばれる器具で、余分な水分をぎゅっと絞って、“もと土”が完成します。これをベースに、黄瀬戸用や織部用にさらに調合していきます。
「理由は極端なことを言うと、真っ白い土に織部や黄瀬戸をかけても、なんの味わいもない。綺麗すぎてしまうので、もう少しこの土の香りを出したい。それで織部には赤土を少量加えて、色味を加える。黄瀬戸は、さらに赤土を多めに入れ、シャモットの量も増やすことでざっくりとした味わいへ。ある意味すごい贅沢なことしてるんです」
変わらぬやきものの裏側で

作助窯では、こうした土づくりに加えて、釉薬も自然灰をベースにつくっています。時代が大きく変わるなか、多くのひとが気がつかない土台づくりに多くの時間を費やしています。
「父の姿を見てきたので、そういうもんだと思ってやってきました。ただ、今となってはこういう伝統のものづくりは大事にしなければいけない。これができるひとは、本当にごく限られた環境のひとで、ゼロから始めようと思っても、なかなか難しいですしね。僕はできる立場にいるので、続けていきたい」
ただ、妻として、マネージャーとしていつも圭史さんをサポートする裕子さんは、「昔と同じでいることが難しいですよね」と語る。
「評論家の方には、おじいさんの代から変わらぬやきものを焼いてるね、と言っていただいています。けれども、昔のようないい土が手に入らなくなった今、実はその中で、白鳥じゃないけど、もがいているんです。今はうちの伝統的なものづくりを作りこなせるようになるのに精一杯になってしまっていて、正直、時間が足りてない」と圭史さん。

「工芸は、材料への理解だと思うんですよね。日本人の価値観の中で、自然との対話のなかで生まれる、材料への親近感。西洋の場合は、自然を人の思い通りにコントロールしようとするんだけど、日本の工芸は成りたがっている形に促してあげる。僕はこの日本の工芸の原点に立ち帰った上で、新しい枝を伸ばしていきたいです」
まさに土の声を聴く、ということなのかもしれない。
【土の声を聴く。連載紹介】
第1回:原土から粘土へ。【土の声を聴く。「加仙鉱山」編コラム】
第2回:「未来の人に土を残したい」【土の声を聴く。「瀬戸本業窯」編コラム】
第3回:工芸とは材料への理解。【土の声を聴く。「作助窯」編コラム
第4回:土を焼くと、どうなるのか?【土の声を聴く。「美山陶房」編コラム】
第5回:白と青の美しさを求めて。【土の声を聴く「眞窯」編コラム】
第6回:産業廃棄物にしない。土のリサイクルを考える。【土の声を聴く。「双寿園」編コラム】
第7回:陶製人形で使われる粘土とは?【土の声を聴く。「瀬戸陶芸社」編コラム】
第8回:やきものとガラスの原料は同じ山から採れる?【土の声を聴く。「陣屋丸仙窯業原料」編コラム】
第9回:創業約150年の老舗粘土会社が語る粘土づくり【土の声を聴く。「丸石窯業原料」編コラム】