2024年9月28日(土)から10月20日(日)に、無印良品 名古屋名鉄百貨店で開催された「土の声を聴く from瀬戸」。展示ではおさまり切らなかった、深掘りコラムをお届けします。
今回ご紹介するのは、民間で鉱山を持つ「加仙鉱山」。 瀬戸で採れる世界一良質ともいわれる、やきものの土「蛙目(がいろめ)」(詳しくはこちらへ)を“水簸”という工程を経て、粘土にする工場です。
山から採れた原土は、どのように粘土になるのか?
「粘土」というプロダクトをつくる工場の裏側、その土はどこへゆくのか。代表の加藤章弘さんにお伺いしました。
加仙鉱山とは?
「加仙鉱山」があるのは、尾張瀬戸駅から徒歩15分ほど。いわゆる住宅地のなかに位置します。
「加仙鉱山」のはじまりは、大正時代初期に陶芸家の加藤華仙さんが自身の陶芸に使うための土を掘るために、山を購入したことから。この頃は、土が極めて良質で加工もしないで、そのまま使っていたといいます。
こちらの鉱山は、瀬戸市内の粘土層のなかでも、自由な形をキープする可塑性が高く、鉄などの不純物が少なく、一番良質といわれる本山層(ほんやまそう)にあります。
愛知県東部にある猿投山を構成する花崗岩が風化作用を受けて、600万年から1000万年も前に、瀬戸地域に雨水によって運ばれ、堆積したものが、さらに風化されて、蛙目の原土となったと考えられています。
現在のように粘土工場へと変わったのは、1956年のこと。それまで、細々と土を販売していたそうですが、戦後の大量生産の需要にともない、工場を建設。そこから本格的に粘土の製造、正確にいうと、“水簸”工場としての道を歩んでいきます。
こちらが、商品の「本山水簸蛙目」です。
「水簸」とは、鉱山で採掘される「蛙目」の原土に含まれている、鉱物や砂、石、木くずなどの不要な物をとりのぞき、必要な粘土成分だけを取り出して、粒子を整えて精製すること。こちらでは、この水簸された粘土=本山水簸蛙目粘土を主力商品として製造しています。
食器をつくるための粘土の原料に使われるのはもちろんのこと、碍子、釉薬、化粧品と幅広く使われ、パウダー状にしたものは、電子部品分野にも使用されるなど、幅広く使われています。
原土から粘土へ
それでは、この水簸粘土はどのようにつくられているのでしょう?
工場をめぐる前に、代表の加藤章弘さんが、まずはわかりやすいようにとまずは小さなバケツを使って、教えていただきました。
こちらは蛙目の原土を砕いたもの。蛙目は、粘土、キラ(微砂)、珪砂(砂)の混合物です。粒子の大きさが小さい順に粘土、キラ、珪砂となっており、この粒子の大きさの違いを利用して、分離します。
「加仙鉱山」でいちばんほしいものは、粘土分。これを粘土にすることが、一番の目的です。そのために、まずは原土を溶かして、中身を分ける作業を行います。
原土に水を加え、くるくる回して溶かします。
回すのを止めて、別のバケツに水を出すと、底に粒子が一番大きい珪砂が沈んでいます。
上澄み液をさらにくるくると混ぜて、少し時間を置いて水を外に出すと、底に粘土でも珪砂でもないキラと呼ばれる微砂がたまります。
上から時計まわりに、粘土、キラ、珪砂。このなかでいちばんほしいものが、粘土です。
キラは、昭和の時代には使い道がなく、捨てられてしまっていましたが、今は質のよい部はタイルの原料として粘土になります。珪砂も商品として出荷されていきます。
工場で粘土をつくる流れ
ざっくりと概要をつかんだところで、工場へとご案内いただきました。
山から採った蛙目の原土をラインに流します。
原土を水と水ガラスで溶かし、粘土、キラ、珪砂に分離させます。
原土を溶かし、液体状の泥漿(でいしょう)になったら、大きな木片や草を回転ふるいで取り除きます。
昔はウッドチップや肥料に使われていたそうです。
バケットコンベアーで、比重の重い珪砂を泥の中から取り除きます。粘土は、バケットコンベアーの穴から出て、珪砂や粗い土が残ります。
こちらは、外にある「キラ溝(みぞ)」と呼ばれる場所で、自然沈降でキラを沈めて、取り除くための場所です。 この上水が粘土です。
最初に珪砂が取り除かれ、次にキラが取り除かれ、そして残ったものが蛙目の粘土です。
こちらは、いよいよ抽出したかった蛙目の粘土分が浮遊する 泥漿のプールです。このうち70〜80%は水です。
このままでは水が多すぎるため、粘土の濃度を濃くするために、ここにがりを入れて、もう少しどろどろの状態にして、固形の粘土に近づけていきます。
余分な水を減らし、最後はフィルタープレスという機械で圧力をかけ、ろ布を使って絞り、固形にします。
フレッシュなできたて水簸蛙目粘土の完成です。
天日干しによって、水分量を7%まで減らして出荷します。できたての時は、濃い灰色なのですが、乾燥すると、真っ白になります。
正しい蛙目の価値を伝えたい
ここからは、加藤さんの想いをお伝えします。
「蛙目粘土は、すごく粘りがあって、色も白かったので、簡単にせともの(やきもの)が安く作れた。でも、土の名前は知られていない。他の産地では、天草陶石のように地名がつくんですよね。きっと良すぎるから、瀬戸の人が名前を隠したかったんじゃないかな」
ここ数年、もっと多くのひとに「蛙目」の価値、貴重さを知ってほしいと、蛙目のことをわかりやすく伝えたり、民間の鉱山であることを活かして、地域の人とともに工場案内をされています。
キラ置き場。昔は捨ててしまっていたけれども、今はタイルの原料へ。
伝えたい想いの大きなきっかけに、昔はいくらでもあった蛙目土が、このままでは尽きるかもしれないという心配からだった。
その危機感については、やきものの業界では40年ほども前から話し合われているという。けれども、なくなる、なくなると言われながらも、瀬戸では今も堀ることができている。
「製土屋さんの技術陣が、水簸蛙目粘土が必要な量を研究されて、使用量を減らしたんですよ。昔はおそらく30%ぐらい入れてたと思うんですけど、今は10%以内におさえて、出荷量も減らすことで鉱山が延命できているんだと思います」
また、資源がなくなっていくことに加え、水簸工場も、どんどん減っていっているという。
「今、水簸工場は瀬戸に4社なので、どこかひとつでも生産を取り止めたら、急に逼迫することが予想されます。昔は市内に40社ほどあったんです。 近隣の土岐や恵那の方にも、数十軒ずつあったんですけど、今は本当に減って、数えるほどです」
もしも新たな鉱山が見つかり、開発が進んだとしても、水簸工場が倒れてしまっていれば、技術が失われ、水簸粘土をつくることができない。
蛙目粘土への想い
加仙鉱山が製造する水簸蛙目粘土は、全国各地のやきものの産地から注文がくるという。現在、日本中で良質な土が減りゆくなか、蛙目粘土をほんの少し混ぜるだけでも成形しやすくなるので、とても重宝される。とりわけ量産、工業製品には欠かせない。
ところが、やきものはものづくりのなかで、原料となる土の原価が低いといわれ、蛙目粘土の値段は安く、採れる量が減りゆくなかでも続いてしまっている。近年、じりじりとは上がってはいるものの。
「うちは思い切って価格改正して、量を減らしました。でも、ほうぼうにめちゃくちゃ怒られて、いっそ土地を売ろうかと考えたこともあります。 でも、やっぱり手放せない」
その理由について、こう語る。
「悲しいんですよ。蛙目粘土の地位が低すぎることが。なにより、これからも瀬戸焼を残すなら、やっぱり瀬戸の鉱山はやらないかん。 土が良すぎて、なんでもできたのが瀬戸ですからね」